研究の概要
私たちヒトの体を構成するそれぞれの臓器は組織幹細胞を中心とした細胞社会を構成しています。生まれ、育って、やがて老いていくプロセスで組織幹細胞が適切に機能することは臓器や個体の恒常性の維持に不可欠です。
そのため、組織幹細胞に異常が生じるとがんをはじめとするさまざまな疾患発症や、加齢に伴う臓器機能不全につながると考えられています。すなわち、組織幹細胞を維持する環境を理解して、幹細胞の動態や細胞内の変化を解き明かすことで生物の根本的な原理を知ることができます。
また、得られた成果を基にした研究展開は、様々な疾患の治療法の開発などにつながる高い応用性を秘めています。
私たちは、体を構成する細胞の過半数を占めている血液の細胞社会に注目して研究を進めています。特に、血液細胞社会おける組織幹細胞と周囲の環境(幹細胞ニッチ)の相互作用に注目して、ライフステージのそれぞれの時点における分子機構と細胞動態を深く完全に理解したいと考えています。
そのために、単一細胞レベルの細胞動態解析や、in vivoイメージング、メタボローム解析や次世代シーケンサーなどを駆使して集学的な研究を進めています。
これまでの研究
私たちの身体を構成する細胞は体重60㎏のヒトの場合約37兆個と見積もられています。
そのうちおよそ27兆個は赤血球を中心とした血液細胞です。体内では赤血球だけでも1分間に1億個以上産生されていると概算されていますが、この極めて活発な血液細胞産生を維持しているのが「造血幹細胞」です。
造血幹細胞は、自分自身を作り出す自己複製能と、全ての分化血球を産生する多分化能を保持していて、さまざまな前駆細胞を産生します。前駆細胞は造血幹細胞に比べると自己複製能と分化能が限定されており、活発に増殖して赤血球、血小板、顆粒球、単球・マクロファージ、リンパ球、樹状細胞などの分化した血液細胞を産生します。
造血幹細胞は普段は細胞周期を静止期(G0期)に保ちながら時々分裂して、分化血液細胞を供給します。陸生の哺乳類の造血幹細胞は骨髄に局在し、近傍の微小環境(ニッチ)によって維持されています。
一例として私たちは造血幹細胞のニッチ細胞として巨核球を新たに同定し、Clec2-TPOシグナルを介して幹細胞の細胞周期の静止期性の維持に寄与していることを見出しました(J Exp Med 2015)。私たちはこうした骨髄ニッチによる造血幹細胞の制御機構を解き明かして、多細胞社会の根源的な制御機構を理解するべく研究を進めてきました。
その結果、骨髄ニッチの低酸素環境が造血幹細胞に重要であることを見出してきました。骨髄の低酸素環境は造血幹細胞に転写因子HIF-1αの発現を誘導します。HIF-1αの発現を失った造血幹細胞は、細胞周期が増殖期になって幹細胞活性が低下することに加えて、骨髄ニッチを離脱して末梢に出現するようになります(Cell Stem Cell 2010)。
すなわち、骨髄の低酸素環境は造血幹細胞を維持するために機能していることが明らかになりました。
さらにメカニズムを探索した結果、HIF-1αが各種の解糖系酵素と、ピルビン酸脱水素酵素キナーゼ(Pdk)の発現を誘導することを見出しました。
Pdkは解糖系からミトコンドリアへの代謝流束で重要なピルビン酸脱水素酵素をリン酸化して不活性化します。造血幹細胞でPdkはミトコンドリアの酸化的リン酸化を抑制し、解糖系優位の代謝特性を取らせます。その結果、造血幹細胞は細胞周期の静止期の維持や幹細胞活性の維持をしていることが明らかになりました(Cell Stem Cell 2013)。
一方、造血幹細胞は感染・出血や移植後に活発に増殖して造血システム全体の恒常性を保とうとすることが知られています。私たちはストレスが負荷された造血幹細胞ではp38α-Mitf-Impdh2シグナルが誘導されて、その結果プリン代謝が活性化することを見出しました(Cell Stem Cell 2016)。
このプリン代謝活性化はストレス時の造血幹細胞の増殖に必要で骨髄の再生・リモデリングに不可欠な機能を果たしていることが分かりました。
これらの観察結果から、代謝プログラムが造血幹細胞の機能や数の制御に重要な役割を果たしていると考えられています。
近年、骨髄ニッチは様々なストレスが負荷されるとリモデリングされることが知られています。私たちも例えば、全身感染時には細菌由来の代謝物が骨髄ニッチの構造と機能を大きく変化させて、造血幹細胞の増殖・遊走・分化を誘導していることを見出しています(Cell Rep 2015)。
さらに、白血病や骨髄腫といった造血器腫瘍においてもニッチは正常と異なる形と機能にリモデリングされていることも見出しています(Blood 2014)。
現在私たちはこれらの知見を基にして造血幹細胞とそのニッチが発生、加齢、そして病態においてどのようにリモデリングされていくか、代謝プログラムがどのように調節されているか知るために日夜研究を進めています。
これらの研究は、臓器がストレスを受けてから恒常性を取り戻すまでのプロセスにおける代謝の機能的な意義を解き明かすのみならず、病態の解明や再生医療への応用も含めた発展が期待されます。
【引用文献】
Karigane et al., p38α Activates Purine Metabolism to Initiate Hematopoietic Stem/Progenitor Cell Cycling in Response to Stress. Cell Stem Cell. 19:192-204, 2016.
Kobayashi et al., The IL-2/CD25 axis maintains distinct subsets of chronic myeloid leukemia-initiating cells. Blood. 123:2540-2549, 2014.
Kobayashi et al., Bacterial c-di-GMP affects hematopoietic stem/progenitors and their niches through STING. Cell Rep. 11:71-84, 2015.
Nakamura-Ishizu et al., CLEC-2 in megakaryocytes is critical for maintenance of hematopoietic stem cells in the bone marrow. J Exp Med. 212:2133-2146, 2015.
Takubo et al., Regulation of the HIF-1alpha level is essential for hematopoietic stem cells. Cell Stem Cell. 7:391-402, 2010
Takubo et al., Regulation of glycolysis by Pdk functions as a metabolic checkpoint for cell cycle quiescence in hematopoietic stem cells. Cell Stem Cell. 12:49-61, 2013.
私たちが現在進めている主な研究プロジェクト
1) ニッチによる造血幹細胞制御機構の解明
2) 代謝プログラムの理解に基づいた造血幹細胞培養の開発
3) ニッチの理解に基づいた造血器腫瘍病態解明